オッペンハイマー感想

オッペンハイマー見てきました。
感想はアメリカさんの映画。この映画がアカデミー賞を取ったことでアカデミー賞アメリカの賞で、ありがたがる必要は一切ないことを強く感じた。

 

原爆投下の流れは悔しくて涙が出た。平和教育を受けた身として落とした側の意図なんてクソくらえ!だった。東京大空襲も酷いし、そもそもアメリカ側は被爆することを想定に入れていなかった筈がない。それなのに被害人数を少なく見積って落とした。試し打ちを行った場所も原住民に返そうとしていたしもしかしたら物理学者たちは知らなかったのかもしれない。爆発が成功したところで涙が止まらなかった…悔しいよ…。

その後のスピーチでオッペンハイマーがフラッシュバックしている描写や査問会?で裸になる描写など

みなさんご存知の通り監督としてクリストファー・ノーランの技量は卓越している。3時間全く飽きなかった。音響に関しては絶対に映画館で観るべき。

だが、「見る必要があるか」と問われれば否(映画自体の存在がそうだが)である。

 

ただ見る選択肢を持てた

 

明確な反戦映画で、大体戦争が悪い(浮気は別)。戦争が核を落とさせた。

 

 

人間関係を上手くいかせる気がない

 

題名の通り、人間関係を頑張れない。

前回書いた通りの理由で人間関係を頑張れない。

同じところをぐるぐると回っている。

 

前進出来ないどころか後退しながら回ってる。

私の人生ずっとこれ。回る場所を学校、職場とかちょこっとズレてるだけ。

動かすつもりもない。

 

ずっとここにいる。誰にも認識されずに80年は生きる。

誰の記憶にも残らない生は生きてる実感が薄く、自我も薄く、成長もない。

 

どこにもいかない、私はここで毒ガスになる。

 

家族を持つということ

思考が止まっていると何も書くことがない。

 

姉が妊娠した。姉とは仲が悪くてここ数年まともに顔も合わせていない。

私よりも出来が良い姉に子どもの頃はよくついて回った。姉のことが好きなのではなく姉が妹の面倒を見るのが当たり前だと思っていた、その心持ちすら自覚することもなくついて回った。

 

そんな幼少期を経て姉が小学校中学年くらいのころSNSで私のことを「家族でもないアメーバのような何か」と形容していてショックを受けた。

そこから姉から離れた。人生は変化していくのでいつまでもついて回る妹が鬱陶しくなるのは分かる。でも人ですらないって…と当時思ったが、今の自分の生き方を見ると言い得て妙である。

受け身でわがままで人から施しを受けて当然と思っている。

最悪の人間だ。近づきたくない。

さらに最悪なのが、自分を形容する言葉は知っているが本当に理解出来ていない点にある。

変える意思があまり無い。

変えなきゃ、と思っているけど「これが自分だし」と思っている。自分自身のありのままを受け入れてもらうなんて傲慢もいいところなのに周囲に負担を強いている。

 

この周囲から搾取する生き方を変えなければ鬱々と癇癪を起こし続ける人生とオサラバは出来ないだろう。

死んで楽になりたいけど夫という楔がある。夫とどうしてもやっていけなくなった時が私の人生の終わり。

 

夫を幸せにしたい。

 

ベーグルを焼く

ここ1週間ベーグルを焼いている。

最初は私1人で使っていたが3回目からは旦那と一緒に作るようになった。

基本のレシピは同じでトッピングは目分量で使っているが、大体は食べれるモノが出来上がる。

ベーグルはとても簡単なパンなのでパン初心者にもズボラ人間にも優しい。

お家でベーグルが食べたいけど味はそこまで気にしない、という人間が適当に作るにはもってこいだ。

旦那と1週間以上ずっと同じことをするのはほぼ初めてなので嬉しいし、こんな日常が尊く大切なモノだと客観的に思う。心はそこまで動いていない。

実感した時にはこんな日常は遠くなっているんだろうな。日々を大切に生きたいけどすぐ死んでしまいたい。真逆の気持ちだけど表裏一体。私の感情。ペルソナがいくつもあってどれも自分。じゃあどの感情が自分?自己が曖昧。線を引いて言葉にして輪郭を作っていくためのブログなのに思考をそのまま吐き出してる自己愛。汚いけど大切で、これが自分…。

中学時代に一番仲が良かった友人の名前を忘れてしまった

Twitterのリア垢に突然不愉快なリツイートが流れて来た。誰かと思えば中学時代に仲の良かった友人の面識の無い友達だった。

ここまでは良くあることで、いやこれから書くこともよくあることなんだろうけど私は初めてだったので衝撃的だった。

中学時代に一番仲が良かった友人の名前を忘れてしまった。

正確には15分くらいしたら苗字は思い出したのだが下の名前が思い出せない。

いつも苗字で読んでいた彼女。明るくて面倒見が良くて自虐で周りを明るくしてくれる人だった。

たまに過剰なイジリに苦しそうな顔をしていたし、私のような何も話さないクソコミュ障にも気を使ってくれた。

勉強もできて高校受験で遠くの志望校に行ってからは一度も連絡を取っていない。

Twitterアカウントも転生したようで何年も前から更新されていない。

よくある話だ。

彼女の名前は忘れてしまったけど私に笑いかけてくれる笑顔は鮮明に思い出せる。

 

中学時代は碌に話さなくてごめんね、みんなと一緒にあなたをいじってごめん、優しさに甘えてた。高校ではすり減らさなくて良い友達作れたかな?

名前思い出せなくてごめん、貴方のおかげでたくさん笑顔になれたよ。ありがとう。元気でね。